天照大神が朝日に輝くこの山を見て「日枝の山」と呼んだことから、転化したと言う説、弘法大師が、麓の村で米を搗いている住民を見て、食べ物を分けてくれるよう頼んだところ、米を惜しみ稗を寄越したので、弘法大師は怒ってこの山を越える際に撒きながら歩いたことから、稗の山になって、それが転じたという説がある。しかし、最も有力な説は、この山が中国地方第二の高峰であることから、毎年、遅くまで氷雪に覆われていることに由来するとしたものである。菅ノ山、須賀ノ山の古名もあるが、これは氷雪を意味するスガに由来する。このことからもこの説が最も有力であることが解る。また、正式には、須賀の山にすべきであると言う考え方もある。
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