連綿と連なる穂高の峨峨たる山容に古人は神を見た…。
穂高見尊は、水の神であり、梓川上流域に住んでいたのだ。
神の住む場所…神垣内は、何時か、神の存在が希薄になるにつれ、
名前を替え、今は上高地と言う俗っぽい名前に変わってしまった。
神の棲家は何時しか、商業主義の棲家に変わった。
文明を否定するつもりはない。
しかし、時には、自然の中で鬼も妖怪も信じられていた未開の時代が、
無性に羨ましく思い、現のみが存在する現代が酷く味気ないものに感じることがある。
だから、自分は山と宗教の結びつきに時として、強いノスタルジーを感じ、
そうした歴史の中にある山の存在に強く惹かれることがあるのかもしれない。
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